INCIDENTS

『偶景(incident,アンシダン)---偶発的な小さな出来事、日常の些事、事故よりもはるかに重大ではないが、しかしおそらく事故よりももっと不安な出来事、人生の絨毯の上に木の葉のように舞い落ちてくるもの、日々の織物にもたらされるあの軽いしわ・・・表記のゼロ度、ミニ=テクスト、短い書きつけ、俳句、寸描、意味の戯れ、木の葉のように落ちてくるあらゆるもの。」(ロラン・バルト)

2016.3.7
海外誌2誌に取り上げられました
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①ORSZÁGÉPÍTŐ
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②ArchitecturalReveiw
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①2015年4月ORSZÁGÉPÍTŐ誌(ハンガリーにおける有機的建築の季刊誌)に積木の家とToyBlockProjectに関する記事が4ページにわたって特集されました。
②2015年7月ArchitecturalReveiw誌に「In Serch Of A Lost House(失われた家を求めて)」と題するエッセーで相田の「涅槃の家」が参照されました。
ここ数年、海外とくに西欧から70~80年代の作品への問い合わせが増えています。
<S.D.>
2015.9.28
相田がJIA名誉会員に選任されました
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_創業者の相田が公益社団法人日本建築家協会の名誉会員に選任され、先日のJIA金沢大会において授与式が執り行われました。(写真左から3番目)
_長年の建築家職能の確立に向けた活動、特に建築教育への貢献を讃えられての称号の授与とのことです。
_4月には同様に長年の正会員としての功績からフェロー会員にも選任されました。
<S.D.>
2015.9.2
「日記の中の建築家たち」
中村敏男著 編集出版組織体アセテート 2800円
_この本は著者の中村敏男氏から送られてきたものです。とにかく面白い本です。著者は衆知のとおり「A+U」誌の初代編集長であり、その後25年間、編集長として君臨し、日本の建築家たちに大きな影響を与えた編集人といえます。中村氏は編集長としての役目がら多くの海外の建築家に会い、また多くの建築に触れた人だといえるでしょう。
_この本は、題名にもあるように著者の日記をもとに編集されたもので、我々の知るほとんどの建築家に会い、その時々の事柄について記されております。時には通俗的な語り口が現れたかと思えば、ある時は建築の哲学的事象にふれたり、読んでいてその面白さにひきこまれます。ここに登場する建築家の何人かは、私もお会いしたことがあり臨場感が伝わってきます。
_とくに興味をひかれるところは、ある建築家、教授などが他の建築家に対する悪口ともいえる批判です。これが痛烈で面白いのです。例えば次のような文章です。「アルフレッド・ロート教授とチューリッヒ」の章では、「ファン・アイクは以前に会ったことも忘れたかのように、早口にまくし立てた。<槙文彦はいいが、丹下健三も磯崎新も黒川紀章も駄目だ。ついでのことだがミラノのアルド・ロッシも駄目だ。>と激しく悪口を言い放った。おまけにロート教授は、客たちの見ている前で<A+U>に掲載されたフィリップ・ジョンソンの作品の写真にいきなり赤鉛筆で×記をつけて、<こんなプレイ・ボーイの作品は掲載してはいけない>と言うではないか。思わず周囲の人たちの顔色をうかがったくらいだ。」これらを読みますと、日本の建築家や学者はおとなしいですね。
_この本は25の章に分かれております。数行、私の名前が掲載されている頁を見つけましたので参考までに記します。「アルド・ロッシのこと」の章の中で「1976年5月号<A+U>のアルド・ロッシ特集号<アルド・ロッシの構想と現実>では、ガララテーゼの集合住宅を掲載した。ロッシの執筆した<類推的建築>と、相田武文さんの書いた批評<沈黙から>がことのほか好評だった。<沈黙>の建築というもっともらしい賛辞は当時の新聞紙上にも引用された。」。
_この本を通して感じることは、欧米の建築家は、大方わが国の建築家より「優雅」であるということです。あるいは、「優雅」に見えるということです。激しさのなかに「優雅」を求めること、建築家の必須条件と思われます。
_出版に関しては、最初に明記したように「編集組織体アセテート」というところから出版されております。発行者は中谷礼仁氏で、現在、早稲田大学教授、建築史家として知られております。一般には知られていないが、良い本を出版したという思いから組織体をつくったのではないかと推察いたします。このアセテートから、これまで15冊の本が出版されております。私は残念ながら、この中村著以外読んでおりません。出版されている本の著者と題名を見ておりますと、興味を誘う本が見受けられます。機会を見て読んでみたいと思っております。
<T.A.>
2015.8.18
建築家、仏を求めていざ鎌倉へ
_毎月1回、鎌倉の東慶寺の裏山にある鈴木大拙が開いた松ヶ岡文庫へ座禅と講座を聴きに通っています。お寺の山門をくぐり、参道を進むとひっそりと「松ヶ岡文庫」の標柱が見えます。小さな木製の閉ざされた門に躊躇しましたが、前に人の進む姿が見えたので門を開き、続いて急な階段を上ります。竹林を抜け、木造の日本家屋風の建物が見えてくる頃には少し息が切れ、心も洗われたような気持ちになりました。
_10分前に到着しましたが既に縁側には座禅をしている人びとで一杯になっています。平日昼間のお寺ということもあり参加者のほとんどはご年配の方々です。フリーランスで良かったなとこういう時こそ感じるものです。
_定刻になると拍子木と鐘の音で座禅が始まります。僕の場合、約30分弱の座禅の中、清々しい気持ちで無心になっているのは始まりのほんの30秒くらいだと思います。やはりあれこれ考えてしまいます。建築家は考えるのが仕事のようなものですから職業病でしょうか。不完全燃焼なまま拍子木の合図で座禅が終了。法話を聴いた後にその日の講座がはじまります。
_さて、でもなぜ今、建築家が禅や仏教なのか?明治の近代化で西欧から来た「建築」と廃仏毀釈された「仏教」。光と影、内と外など二元論的、言語的に物事を捉える「建築」と二元論に至る前を見る不立文字の「禅」。歴史的断絶と概念的矛盾で相容れないのですが、どちらにも惹かれているのですから仕方ありません。
<S.D.> ※公益社団法人日本建築家協会関東甲信越支部「Bulletin9月号」掲載LinkIcon
2015.6.25
『相田の一言 124』より
“Architecture of the Mask” Evincing Japanese Humor By Lisa Hsieh
_約1カ月前に、この論文の著者であるLisaさんより送られてきました。A4用紙に16頁、そのうち10頁が英文です。電子辞書、パソコンを使い、汗をかきながら、なんとか読んだのです。
_Lisaさんとは、彼女がプリンストン大学に在籍している時、卒論か修論を書くために日本を訪れ、その時にインタビュウを受けた記憶があります。その後、一度か二度お会いしたように思うのですが、いつもにこやかでチャーミングな女性です。その後、同大学の博士課程に進学し、二年ほど前に博士号を取得したとのことです。深くは知らないのですが、彼女の専門は日本の現代建築だと思います。ARCHITEXTグループにも興味があるようで、以前、仲間を交えて原宿で食事をした記憶があります。現在はミネソタ大学の准教授です。私は1978年にミネソタ大学で講演をしたことがあり、この大学の名前を聞きますと楽しかった思い出がよみがえってきます。
_この論文はSociety of Architecture Historians Conference in Chicago,2015で発表するとのことです。以下、論文の趣旨を要約します。(久方ぶりの英文読解、誤訳があるかもしれません)
_タイトルに示されているように「仮面としての建築」を論じたもので、そこに日本独特のユーモアのセンスが表示されているとしております。warai(laughter)については、上級な笑いと下級な笑いがあり、日本には奥深い抑制された笑いがあると。そこには、仏教の影響とも関係が深いとし、さらに能、狂言、能面等について解説をを加えております。とくに能面については、6種類の典型的な表情についての解説がされており、私も知らないことが多く参考になりました。
_ここで主にとりあげられている建築作品は私のものが多く、以下の初期の作品です。
House Like A Die(1974)<サイコロの主題による家>、Nirvana House(1972)<涅槃の家>、Annihilation House(1972)<無為の家>、Architext extraのドローイング(都市住宅7208) ここに揚げられた私の作品は、日本の伝統的なユーモアのセンスと深い関係性があると論じております。最後の頁では驚いたことに、日本のユーモアは現在においてもJunnya Ishigami’s Picnic(2010),SouFujimoto’s Tokyo Apartment(2010)の作品にまで引き継がれているとしています。
_彼女は最後に次のような言葉で論文を終えています。
_We are welcome to laugh.
_この夏、来日するとのこと、お会いするのが楽しみです。
<T.A.>
2015.6.2
積木の風景・事事無礙
<S.D.>
2015.5.11
建築家のひとこと #40
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<T.A.>
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「建築家のひとこと」のサイン本は以下からご購入できます。
2015.4.16
『相田の一言 121』より
「日本建築巡礼 東日本30選」
「日本建築巡礼 西日本30選」
著者 磯逹雄(文) 宮沢洋(イラスト) 日経BP社 各1400円
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_この本は以前書きましたように著者から送られて来たものです。
著者が日本遺産として、紀元前から1914年(大正3年)までの建築を60選定したもので、それを東西にわけて2分冊にしたものです。
「日経アーキテクチュア」の後段に掲載されているおなじみのイラストが多く描かれており、読者の興味をそがないような頁構成になっています。
建築の専門家として、最低限度これぐらいの知識は必要かなと思わせる内容になっています。私自身これらの建築を眺めて、どれぐらい行ったことがあるかを、ザーッと見たところ3分の2強です。機会があったら全部踏破したいと思いますが。
著者がどうして1914年までにしたかと疑問に思ったのです。私の推測では、東京駅を60選の中にいれたかったのではないかと。
東京駅は日本の近代化のなかで、西洋の様式を規範とした建築として象徴的な存在であるでしょう。また、数年前に復元されたことは、その保存方法として高く評価すべきものといえるのでしょう。
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_私は、少し視点を変えて述べてみたいと思います。落語のへそまがりの大家さんみたいだと思われるかもしれませんが。
私は、東京駅を見るたびに「あれは植民地建築だ」と思ってしまうのです。
学生の頃はさほど気にしていませんでしたが、その後アジアを旅する機会が増えるに従って、段々と植民地建築ではないかと思い始めたのです。
インド、マレーシア、ベトナムなどなど、駅舎をはじめ主なる建築物は西欧列強の様式が色濃く残されています。
東京駅は、当初ドイツから招聘された技術者フランツ・バルツァーという人によって案ができたとのことです。彼の案は、我が国の寺社や城郭をモチーフにしたものでした。なぜならば、その当時、自国の文化を顧みずエセ西洋風の建築が東京に建てられていた、この状況を感じ取ったバルツァーは日本的様式を採用したとのことです。ここでは、むしろ外国人によって日本のアイデンティティを問われているように思われるのです。
当時の近代化は、そのまま西洋の模倣という状況を考えれば、クイーン・アン様式といわれるものに落ち着いたのもいたしかたがないのでしょう。
私の個人的感想からいえば、京都駅のほうが好きです。なぜならば、それは、日本の建築といえるからです。
<T.A.>
2015.3.25
現代中世論からの建築論
_現代は、近代(モダニズム)と次の時代との間にある中世であり、新しい秩序へ向かう転換期だと考えると、鎌倉時代以降、精神文化的に再び新しい価値観が生まれるのではないかということにリアリティを感じます。ここでは建築におけるその可能性について考えてみたいと思いますが、それは他の分野でも同様に起こりうるのだと思います。
_また、この論は、鈴木大拙「日本的霊性」への建築論的オマージュでもあります。「日本的霊性」は、第二次大戦終戦の前年、当初から敗けを確信していた大拙が、敗戦後に日本が世界の精神文化に貢献すべき使命、つまり日本的霊性の世界的意義を確立すべくして書いたとされる著作です。当時軍部が宣揚する「日本的精神」に対抗したこのメッセージは現代においても重要性を失ってはいません。むしろ今日の日本の都市はこの「日本的霊性」にあまりにも無自覚過ぎたのではないかと私は思います。
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_「霊性」とは、精神の根底にある宗教意識で、物質との二元論で捉えられる「精神」よりも原初的なものであるとされています。大拙は宗教意識というと誤解があるかもしれないと「霊性」という言葉を使いましたが、今日においては「霊性」という言葉も非科学的であると誤解や違和感を持つ人が多いかもしれません。しかし、特に日本においては3.11を経験したことで科学技術はある想定条件の上に成り立っているものであり、自然の全存在が科学の射程距離をはるかに超えていることは再認識されたのではないでしょうか。科学には科学の領域があり私たちになくてはならない大変役立つものですが、美や文学的な領域、宗教的、霊性的な領域は科学による分析と還元という概念を通さずに、直接私たち個人個人が具体的なものとして受け取るものです。ここでは「霊性」を美を中心とした精神文化に関わる問題として捉えていきたいと思います。
「霊性は民族がある程度の文化段階に進まぬと覚醒せられぬ。」が、「霊性の覚醒は個人的経験で、最も具体性に富んだものである。」
_このように、「霊性」は風土に根ざした個を超えたものでありながら、個人的経験としてのみ得られるものです。建築で考えてみると、言葉巧みにコンセプト(精神)と形(物質)という形式(分別)で抽象化・図式化する設計プロセスでは取り零してしまうものを、霊性を自覚することによって触れることができるのではないかと思うのです。
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_ここで「建築」という言葉の特殊性について考えたいと思います。「建築」と似た言葉に「建設」がありますが、今日の資本主義的価値観で功利的にただ建物を建てることだけを考えれば「建設」という言葉だけで用は足ります。辞書を引くと「建築」には美的な意味合いが含まれるのに対して、「建設」には産業的な意味合いを含みます。また、建物を「建築物」と「物」を付けることもあれば、「〜の建築」という風に呼ぶこともあります。「建築」は美という深淵な領域を扱うため、それ以上言葉では説明できず、(粋なものであって欲しいと)ただ「建築」と呼ぶにとどめ、諦めることで言葉による結論を先送りし、美に豊かさをもたらす言葉のしるしなのかもしれません。それは「建築とは何か」ではなく「建築に何が可能か」を問うべきだというある建築家の問いにも通じるものがあります。建築の設計は言語のように様々な要素に分節し、それを総合化する技術でもありますが、「建築」そのものはそれ以上還元することのできない原初的なもの、大拙が言う「無分別智」(知識や理屈で分別・分析できない智慧)だと私は信じます。まず無分別智の直覚があり、それを説明し、物化・実現するのにコンセプトと形や様々な分節(柱、梁、床、屋根・・・)があるのだと思います。
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_あまり「建築」に宗教的な見方を重ねることは正確さに欠け、宗教を信心する人びとからも良く思われないかもしれません。しかし、宗教観の薄い人びとにとっては何か自分の好きな物事、仕事や趣味など「生きがい」に人生の意義や充実感、歓喜を感じることは重要なことで、もしかしたらそれは現代の世俗的で物質的な生活様式から生まれた新たな霊性なのではないかと信じたいのです。
_つまり、誤解を恐れずに言えば、「建築」とは宇宙の真理である「仏性」に包摂されるもの、もしくはそのものなのではないか、そしてそうだとすれば、それは一如であるがゆえ、元から私たちに内蔵されているのではないかと。そうでなければ素晴らしい建築を前に感動することもあり得ないと思うのです。
_このような思想は民族こそ違いますが、例えば近代科学の分析と還元に対して綜合と全体化を目指したゲーテの次の詩にも見ることができます。
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もし眼が太陽のようでなかったら、
どうしてわれわれは光を見ることができるだろうか。
もしわれわれの内部に神みずからの力が宿っていなければ、
どうして神的なものがわれわれを歓喜させることができるだろうか。
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_古代ローマの建築家ウィトルウィウスは建築を「用・強・美」であると言いましたが、「美」は「喜び」と訳すべきだという説があります。それは「建築」が霊性的な歓喜につながっていることを言い表しているのではないかと思います。
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_「建築」とは空間や環境を作る上での「悟り」であり、感動と共に絶対的な安心がもたらされなくてはいけません。ここで言う安心は、単純に安全性による生命の安心だけを言うのではなく、生死を超えた美的安心、人生の大団円においても「すべてよし」と言える歓喜の心境を指しています。
_「建築」をこのように捉え、現代を中世と見ることで、日本の中世における仏教の歩みに現代の建築の進むべき道を見い出すことが出来ます。
_鎌倉以前の仏教は、公卿的で、形式化、儀礼化、審美化、技巧化したエリートのためのものだったといいます。一方、建築もまた、今日まで上流社会、エリートのためのものでした。
_鎌倉時代の大転換で仏教にもたらされたのは、禅と念仏でした。詳しいことは「日本的霊性」や仏教に関する文献に譲りますが、禅宗は坐禅によって、浄土系は念仏によって仏性、悟りに至らんとします。このいずれもが観念ではなく単純な行為・直接的体験から、中央ではなく地方から生まれたことは今日において注目に値します。
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_禅は、仏教が発展するに従い堆積した皮相な見解を除去して、仏陀の精神を直接的に見ようとするもので、知的作用や体系的な学説に訴えることはしません。「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」という禅の指導原理を建築に当てはめれば、言葉や知識・学説に頼らず直接自分の心に空間を把握して、建築の本性を見極める、ということになります。
こうしてみると、建築への禅的なアプローチ・様相は既に近代以降の建築家にも認めることができます。例えば、ルイス・カーンや日本では白井晟一といった建築家の仕事や生き方にそれを感じます。ただどうしても、いつでも、どこでも、誰にでもできることではありません。
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_一方、これまで建築には浄土系的な思想を見い出すことはありませんでした。南無阿弥陀仏を唱え、絶対他力の如来の働きにまかせれば、善悪問わず、全ての人は今において往生することが出来るという仏教の究極形は、本質的にはヒューマニズムな正義感をもって自然に抗い、個己を立ち上げる表現行為であるこれまでの建築観には相容れないからです。
建築にポピュラリティやリベラリティを取り込むという試みでは市民参加やワークショップがありますが、浄土系思想の本質はそこには無く、それらはあくまで結果に過ぎません。浄土系思想の本質は「絶対他力」にあります。また、極楽浄土に往生するために念仏するのではなく、一心の念仏そのものが大切なのであると大拙は言っています。
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_ここで少し論が飛躍しますが、このような思想は「建築」では「物を置く」ことが絶対他力の念仏のように為される中に見い出すことができるのではないかと主張したい思います。それは機能と美、コンセプトと形、作り手と使い手という従来の建築の二元論を超えた不立文字の、無分別智の、直接的・直覚性の建築論と言えます。
_「物を置く」という視点で都市や建築を見ると、使い手は内部空間に花瓶や家具等の物を置くことで身の回りの環境を作っているし、作り手は外部空間に建築物、工作物を配置、置くことで都市を作り出しています。「物を置く」という単純な行為は住まうことと建てること、使い手と作り手を同一平面に置くレイヤーまたは念仏のようなものです。内部、外部という設定を外せば、「物を置くこと」は誰もが即参加・即実現できる都市のインタラクションであり、建築的な念仏となります。
_そして「物を置くこと」は地球の重力を等しく条件としていて、世界中の物はすべて地球の中心に向かって引き寄せられて繋がっています。つまり、それは大地に根ざし、私たちは物を置くことでこの不思議な美しい球体を共に建築し続けているとも言え、建築においても平生業成(生きている現在において人生の大事業を完成させること。親鸞の教義。)することができるのではないかと思うのです。
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_浄土系信者の中で特に信仰に厚く徳行に富んでいる人を「妙好人」と言い、大拙は著書で3人の妙好人を取り上げています。中でも、石見の浅原才市は「口あい」と呼ばれる信心を表した、なむあみだぶつの歌で知られ、そこには絶対他力の阿弥陀への信心による歓喜が綴られています。
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「歓喜の御縁にあうときは、ときも、ところも、ゆわずにをいて、わしも歓喜で、あなたもくわんぎ、これがたのしみ、なむあみだぶつ。」
「なむあみだぶをたべてあそんで、なむあみだぶとともにくらし、ご恩うれしや、なむあみだぶつ」
「ままならぬ、ままにしようとても、ままならぬ、ままにしようとは、そりゃむりよ。」
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_これらの歌を読むと、建築においても絶対他力の美を信じて物を置くこと、つまり、自らを統合者と驕らず、ただ美を一心に思い、身の回りに物を置くという目の前の今に直接的に働きかけることで歓喜に包まれている人びとこそが「建築」という空間の悟りに触れているのではないかと思うのです。そういった人びとを建築専門誌ではなくファッションやライフスタイル誌などのインテリア記事で良く見かけます。
_それは、建物の新築や改修、都市計画・インフラ工事といった建設・土木の範疇を包摂し、テーブルの上に花を一輪活けることからでもできるし、東京でも地方でも場所を問わず何処でも大地に根ざせば行うことができるのです。
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_目の前の今、此処に美をもって「物を置く」(或いは物を除ける)というシンプルな行為で誰もが建築の本性に触れられるという思想は、新たな中世に入りつつある今日、大きな意味を持つだろうと思います。
<S.D.>
2015.3.6
現代中世論 試論
_この曖昧で漠然とした不安感の漂う時代は、モダニズムと次の時代との間の中世に入ろうとしているのではないか、もしくは既に中世なのかもしれない。これは、3.11後に直覚したことを最近読んだ2冊の書物を援用して書き綴った試論である。
_網野善彦の「日本の歴史をよみなおす」によれば中世の14世紀は日本の文化・社会の大きな転換期であった。そして、鈴木大拙の「日本的霊性」によれば、日本人の精神に宗教的意識が目覚め、日本的霊性の自覚が発現したのは中世の鎌倉時代であった。現代も中世的状況であるならば、今は新しい時代への転換期と言えるのではないか。
_日本の中世は鎌倉時代に始まり、平安時代から鎌倉時代への移行は、公卿の文化から武家の文化への歴史的大転換期だった。
_平安文化の特徴は、繊細さ、哀れさ、麗しさ、細やかさにあり、それは公卿文化、女性文化で概念的であった。そして、平安期は仏教でさえ、形式化、儀礼化、審美化、技巧化していて、まだ霊性に目覚めていなかったという。
_「日本的霊性」の「大地性」に関する平安と鎌倉の対比はこれからの在るべき方向性を示しているように思われる。
「平安時代は、一方では大宮人をして恋のあわれの優しいの床しいのという観念世界に、寝たり起きたりすることを許していたが、また他の一方、即ち地方では、農民と武士をして大地と最も直接な交渉を続け得ることにした。後者はその故に生命に直面していたのである。」そして、繊細さ故に公卿文化は亡び、大地に根ざした武家の文化に置き換えられねばならなかった。
_戦後、日本は高度成長を経て豊かになった。格差は一時是正され、一億総中流と言われるようになり、中流でもその生活レベルは平安時代の公卿に遜色はない。そして、モノと情報に溢れ、生命を脅かされるような出来事を直接的に経験することのなかった特に東京圏の人びとは、平安的・公卿的な文化、精神性に浸っていると言えるのではないだろうか。それは今日の一極集中、ブランド志向、保守化、実績主義、形式化・儀礼化、女子文化、中性化、繊細さに見ることができる。
_一方で、たび重なる経済危機、自然災害、テロリズム、新たな格差の発生などによって世界に対する無常観が高まりつつある※1。それは鴨長明の方丈記にも見られる精神性であり、歴史的にはそこから新秩序を模索する武家の台頭が始まっている。
(※1:バブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン、9.11、リーマンショック、3.11・・・)
_また、日本の中世は、律令制・荘園公領制が、農業中心の社会のイメージを後世に植え付けているが、百姓には廻船問屋を営む名家もあるなど、百姓とは農民のことだけを指していなかったという。実際は、海路、水路のネットワークで盛んに人びとは往来していたし、百姓とは、様々な姓、職能をもったその他の人びとという意味に過ぎなかった。
_中世とは、ただ時代と時代の間にある失われた暗黒時代でも、封建社会という抑圧された単純な社会などでもなく、時代が蠢いているからこそ方向性が定まらない多様性に満ちたダイナミズムの真っ只中であるということだ。
_つまり、グローバル資本主義、環境問題・自然災害、人口減少などによる社会基盤の不安定さ、将来に対する漠然とした不安、格差と不満のくすぶり、遍在するテロリズム、コンピューティング能力の進歩、科学技術の進歩(新素材・新技術など)、インターネット・ICT技術の発展によるコミュニティやコミュニケーションの変化・情報の自由な行き来といったものによる多様性と混沌は、新たな秩序へ向かうダイナミズムであり、平安から鎌倉への大転換に似た中世のはじまりを思わせる。
_故に、ルネサンスやモダニズムといった大きな時代への憧憬や志向は捨てなければならない。まずは多様で混沌と蠢く中世をどう生きるかが、今、問われている。それは観念からではなく大地に根ざさねばならず、中世を肯定的に捉えなければならない。新しい時代は中世を経なければ決して訪れないのだ。
_この世界観・歴史観を起点に、今後、新しい建築(論)を展開させたいと思っている。
<S.D.>
2015.2.6
建築家のひとこと #35
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<T.A.>
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「建築家のひとこと」のサイン本は以下からご購入できます。
2015.1.6
建築家のひとこと #14
あけましておめでとうございます。
新年の挨拶に代えて、昨年出版した「建築家のひとこと」からメッセージを送ります。
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<T.A.>
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「ひとこと」は全部で100言あります。「建築家のひとこと」、今ならサイン本がご購入できます。
2014.12.21
国立能楽堂へ
金春流能楽師 山井綱雄さんの公演。
能は橋弁慶と安宅、他に狂言や一調など。
4時間という長丁場だったけど緊張感ある舞台で身が引き締まった。
日本的なる精神がたった一度きりの今に立ち顕れる。
そこに伝統の本質と、そこに立ち会えたことの幸せを感じた。
<S.D.>
2014.11.11
『相田の一言 113より』
10月31日(金)11月1日(土)
_金沢へ。「 ジャパン・アーキテクツ1945-2010」「3・11以降の建築」展のオープニングが 金沢21世紀美術館で行われました。 前回にも書いたと思いますが、「ジャパン・アーキテクツ」展には80人位の建築家のドローイングや模型が展示されておりました。 私の建築模型三点と同人誌「アルキテクスト」も展示されておりました。 歴代の日本を代表する建築家展はこれまで行われていなかったように思いますので、金沢に行く機会がありましたら見るに値すると思います。
_こういう展覧会を行うとき必ずつきまとうのは建築家のセレクションの問題があるということです。 つまり、誰々が入っていて誰々が入っていないと言うような類です。 今回は、フランスのポンピドゥー・センターの副館長であるミゲルー氏が選定したとのことです。 それ故、日本では著名である、あるいは著名であった、という建築家が、この展覧会では薄くあつかわれている場合もありました。
_金沢21世紀美術館を訪れたのは、今回で3回目になりますが公園の風景にも調和した優れた美術館だと思います。 ホテルの宴会場でのパーティーでは、前述のミゲルー氏やフランス大使館の方など5、6人のスピーチがありました。日本には、本格的な「建築博物館」がなかったことも関係しているのですが、今回の展覧会でもポンピドゥー・センター所蔵のものが多く見られました。ポンピドゥーにかぎったことではなく、日本の建築家のドローイングなどが外国の建築博物館や大学に所蔵されているのです。建築をアートとして見る風土が日本には育たなかったことなのでしょう。この金沢の展覧会に刺激されたかどうかわかりませんが、いま、「菊竹清訓」「磯崎新」「ザハ・ハディッド」「伊東豊雄」などの展覧会が行われております。
_レセプションパーティーで知り合いと歓談の後、土居君と金沢の料理店へ。 以前、金沢で設計の仕事があったときによく通ったのですが、「浜長」という店で魚介類の美味しい店です。 20数年ぶりに行ったのですが、私のことを覚えていたのには感激。また行きたくなりました。 気分よく語り、魚と酒を味わい、ホテルへもどりました。風呂も入らずにベッドにもぐりこんだ次第です。
_金沢では鈴木大拙館、ひがし茶屋街などを見学しましたが、大拙館は品が良く、谷口吉生の名作といえるでしょう。見学の価値があります。
<T.A.>
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2014.10.17
『相田の一言 112より』
10月16日(木)
_金沢21世紀美術館の人が集荷のため事務所へ訪問。
「ジャパン・アーキテクツ1945-2010」という展覧会が「金沢21世紀美術館」で2014年11月1日(土)から2015年3月15日(日)まで開催されます。
_1945以降の建築家100人ぐらいの作品展示が行われるようですが、私は模型を三点と「ARCHITEXT」(同人誌)を出展しました。 模型はすでに集荷されたのですが、今回は戦後の雑誌や同人誌の活動を伝えたいということで、その一部を出展しました。 アルキテクストは4号までで終わりました。日本ではあまり知られておりませんが、 外国の専門家の中では注目している人もいるようです。
_アルキテクスト・グループは東孝光、鈴木恂、宮脇檀、竹山実と私ですが、この中で最も闊達であった宮脇檀さんは、すでにこの世にいないのが残念です。 この人のダンディーぶりは命がなくなった時点でも継続していたのです。 通夜の席で棺桶に収まっている彼の姿を見て驚歎。胸の上には赤いバラの花一輪とマリリン・モンローの写真が添えられておりました。死んでもダンディズムを忘れない人でした。
<T.A.>
2014.09.17
_ちょっとしたアイデアが浮かびました。
_私たちの身の回りを取り囲む物の世界は、物を置くことの積み重ねで出来ているのではないかと。
_今、目の前にある苺のショートケーキは一番上に苺が乗っています。その下には生クリーム、スポンジケーキ、そしてまた生クリーム、スポンジ。それらはお皿の上にあって、お皿はランチョンマットが敷かれたテーブルに積み重ねられています。さらにそれらは床、床組み、基礎といった建築要素の積み重ねを介して、地盤の上に乗っています。
_「物を置く」という視点で都市や建築を見ると、使い手は花瓶や家具等の物を置くことで身の回りの環境を作っているし、作り手は建築物、工作物を配置、置くことで都市を作り出しています。「物を置くこと」は住まうことと建てること、使い手と作り手という二元論を超えるシンプルな行為です。物の大小に執着しなければ、実は誰もが既に「物を置くこと」で都市や環境づくりに参加していたのです。この苺がてっぺんに有るのと無いのとでは僕の今この瞬間の体験は全く違うものになるはずです。
_「物を置くこと」はみんな等しく、地球の重力を条件としていて、世界中の物はすべて地球の中心に向かって引き寄せられて繋がっています。つまり、私たちは物を置くことでこの不思議な美しい球体をみんなで共に構築し続けていると言えます。積木遊びのように時には崩したりもしながら。
<S.D.>
2014.08.08
_新国立競技場を巡る問題は混迷の一途をたどっているが、その発端を担った建築家、槇文彦氏の問題提起は、今日のSNS等によるメディアやネットワーク環境も影響して、建築と都市に関する公共性を持った言論の場(公的領域)を創り出したことに大きな意義がある。そして、新国立競技場の具体的論点を超えて、この公的領域における都市の議論がどこまで広がり、深まり、いつまで続いて行くのかが、都市に生きる僕らにとって重要だ。
_新国立競技場の問題の本質はその巨大さにあることは確かだ。レム・コールハースが「巨大さ(Bigness)には理論がない」と言ったように、この問題は巨大さゆえに、人間の理性を超えており、今、それが正しいとか間違っているとか言い切ることは難しい。しかし、理性を超えたものに対する不安・恐怖は拒絶することがもっとも自然な反応であるし、これから来るものには無くて今すでに存在するものにはある「愛着」から、反対する人びとの声は、これからも日に日に高まるだろう。ただ、もしも、後に新国立競技場が人びとの目の前に現れ、「こういうものか」と理解され始めた時、その叫びは果たして持続しているだろうか。
_僕はこの問題を考える時、深夜の設計室で一昔前なら栄光ある国家プロジェクトだったはずの計画を、ただ自分の義務に忠実に線を引き続けている誠実な無名の設計士を想像する。おそらく彼は、はじめ、家族やプライベートを犠牲にし、これが人生を賭けて成し遂げる価値のある仕事なのだろうかと自問自答するだろう。聴きたくもないのにインターネットからは憎悪の叫びが聞こえてくる。しかし、カミュ風に言えば、彼には「すべてよし」と受け入れて幸福さを感じて欲しい。おそらくそれはこの論争の特異点、つまりそれが完成した時か計画が頓挫した時に訪れる。そして、その時、憎悪の叫びもまた、鳴り響いたままでいて欲しいと思う。
_つまり、この問題には、建てることと反対することの両方の正義と誠実さに関する難問が含まれている。それは、巨大さ(Bigness)ゆえの公共性で、日々を精一杯生きている若い建築家にも問い詰めて来る。そこに今、僕は息苦しさを感じている。建築は社会の要請によってつくられるというが、社会はとても多面的で曖昧なものだ。
_「巨大さには理論がない。」だから、賛成する人も反対する人も、そしてどちらでもない人も自分だけにしか分からない誠実さをもって「すべてよし」と幸福感を噛み締める権利がある。
<S.D.>
2014.08.04
『相田の一言 108より』
「まちに大学が、まちを大学に」川向正人+小布施まちづくり研究所編著者,彰国社
_この本は編著者の川向正人先生から送られてきたものです。川向先生が務められている東京理科大は、長野県小布施町に「小布施まちづくり研究所」を2005年に設立しました。川向先生はそこの所長を務められており、学生が常勤して調査研究、シンポジウムなどを行い、国際交流の拠点としての役割もはたそうとしています。
_小布施町と言えば、建築家の宮本忠長さんが当初からその町づくりに関わっており、成果を挙げられているのは衆知のとおりです。この本は、この小布施町全域を大学のキャンパスに見立て、調査研究とワークショップの結果をまとめた報告書といえます。参加大学は横浜国立大学、東京理科大学+コロンビア大学、東京芸術大学、大阪市立大学、東京大学、千葉工業大学、早稲田大学です。芝浦工業大学が参加校に入っていないので残念です。それぞれの大学は学生らしいアイディアでプレゼンテーションがなされており、小布施町の現状をそれなりに踏まえていたと思われます。
_このワークショップに対し各大学の先生方から教育的な発言が記されておりますが、この中で最も強烈な意見が眼にとまったので紹介します。コロンビア大学の工藤国雄さんです。私の古い友人で、この人に関しては以前にも「一言」で書いたと思います。
_「私は、かつて私自身が入りたかった芸大の建築教育というものに対して、強いフラストレーションを感じています。今回の発表を伺って、さらにそれを強くしました。なぜかと言えば、芸術大学なのに全く芸術の力を理解していない。まるで社会工学の発表ではないか。例えば、小布施には北斎館があります。あそこに行って、北斎の肉筆画を見れば、ミケランジェロとダ・ヴィンチを合わせたような世界に、誰もが驚嘆します。なのに、北斎の芸術の力に対して、芸大の学生が全く理解していないというか、そこに目がいっていない。人口が減るなんてことはたいした問題じゃない。芸術の力は、それよりはるかに大きい。せめて、芸大の学生には、芸術の力を理解するところから小布施に取り組んでほしいのです。」
_大学ごとの特徴が、一昔前に比較して少なくなってきたように思われます。大学においても横並び現象なのでしょうか。工藤さんの一言は傾聴に値すると思います。
<T.A.>
2014.07.12
迎賓館。人を喜ばせるということを総合的に大事にしたい。
<S.D.>
2014.06.07
『相田の一言 106より』
午後5時より「駒形どぜう」にて、私の喜寿を祝う会を催していただきました。感謝、感謝です。長生きして良かったという実感を味わっております。60余名の方々に集まっていただき、2階の部屋が満杯で、ドジョウ鍋の熱も加わって熱気あふれる会でした。
こういう会は、花束が贈呈されるのが通常のようですが、幹事諸君が知恵をしぼって贈呈されたのが、「新聞のコピー」でした。私の誕生日6月5日の読売新聞の一面のコピーです。0歳、7歳・・・67歳、77歳というように7の数字のつく年の新聞です。なかなか面白いので、見出しを少し紹介します。特に戦前と戦後では違いが歴然としております。内容は無論のことですが、戦前のものは、文字が小さい、フリガナがある、などです。
○2014年6月5日(77歳)
「小中一貫校推進提言へ 学生区分自治体の最良 教育再生会議」
「天安門25年 香港の追悼」
「STAP論文 理研内の検証 機能せず」
「出生数最少102万9800人」
○2004年6月5日(67歳)
「年金法案成立ずれ込む 野党抵抗 徹夜の攻防」
「日本の守り 海外で収集 重み増す」
「アフリカ各国のPKO活動支援」
○1994年6月5日(57歳)
「官僚制度改革8割近くが望む 政治家の力不足指摘 本社全国世論調査」
「予算案の衆院通過後に 自社と党首会談 首相意向」・・・羽田首相
「北朝鮮の核再処理施設 将来の廃棄言及」
○1984年6月5日(47歳)
「新ラウンド準備開始を サミット、首相発言へ 途上国発展に必要」・・・中曽根首相
「平和と軍縮めざす 党首会談で首相が強調」
「財界積極財政を批判 インフレ招く恐れ 行革推進貫け」
○1974年6月5日(37歳)
「来年度税制総見直し 税調総会決める 医師優遇是正9月答申」
「守りたい日本の原生林 植生学会代表、天皇陛下と会見」
「プノンペン人質の文相ら射殺 学生デモ数千人暴動化」
「金氏出国は後退 韓国外相、後宮大使に説明」
○1964年6月5日(27歳)
「韓国政府、事態収拾に懸命 硬軟両様の構え」・・・戒厳令施行
「巡視艇にも武装 海上保安庁、具体化急ぐ」
「大使会談は当面不用 日中問題で外相答弁」
「総裁公選をただす 参院予算委きょう再開」
「都の事務、特別区に 参院委可決 福祉、保険など」
○1954年6月5日(17歳)
「十日間程度の延長へ きょう首相が裁断」・・・吉田首相
「両社、延長無効提訴へ 国会費不法支出も」・・・左右両派社会党
「改進は反対せず 会期延長幹部の態度慎重」
○1944年6月5日(7歳)・・・読売報知
「西部ニューギニア トル河口の激戦 上陸の敵大半潰ゆ 大本営発表」
「大東亜戦局 攻勢移轉の瞬間 戦略發動の歴史的鋭鋒」
「ソ聯の變貌 民族主義の昂揚 壓し潰された世界精神」
「ガ翁會見を申し入れ ジンナーとヤヤカールに」・・・ガンジー翁
○1937年6月5日(0歳)
「群雄割據の政治勢力縦斷 舉国的新黨樹立へ 近衛内閣當面の課題」
「社會正義に立脚 国内相克を征服 首相第一聲」
「新經濟政策指標 三大項目の完全遂行 内外地一體の機關設置」
「外交を政争外に 外相、近く閣議で表明」
こうして見出しのみを概観してみると、1面であることに関係しているのでしょうが、あまり政治に関する見出しは変化がないように思われます。この中で特出しているのは、私が7歳の時の新聞です。一面全体が戦争に関わる記事といってよいでしょう。いま、日本人は平和を享受しております。永く続くことを願います。
皆さん、機会がありましたら戦前の新聞を読んでみてはいかがでしょうか。歴史観が変わるかもしれません。
<T.A.>
2014.05.09
<S.D.>